「鶏が先か卵が先か!」昔から多くの哲学者たちを悩ませているこの疑問。
あなたも一度は耳にしたことがあるかと思います。色々な意見が出ていますが、結局のところ結論は出ているのでしょうか?
「そもそも、どういう意味なの?」
「鶏が先か卵が先か!というのは聞いたことあるけど、結論が知りたい」
そう思っている方も、みえるかと思います。
そこで今回は鶏が先か卵が先か!結局のところ結論は?について書いていきます。今まで結論が知りたいと思っていた方、ぜひ参考にしてみて下さい。
「鶏が先か卵が先か!」の意味は?
そもそもどういう意味なのかご存知でしょうか。ご存知ない方の為に、意味をおさらいしておきしょう。
卵から鶏は産まれますよね?
そして鶏は卵を産みます。
この繁殖行動を繰り返して子孫を残しています。
この鶏と卵、どちらが先にこの世に存在していたか!という意味なのです。
昔から哲学者たちは、「先に存在したのは鶏だ!」「いや、卵だ!」と色々な意見を出し議論しているのです。
鶏が先に存在した説
2010年7月13日、イギリスの「The SUN」というニュースサイトは「シェフィールド大学とワーウィック大学の共同研究チームが卵より鶏が先に存在したことを発見」と報じました。
その根拠として、“OC₋17”と呼ばれるタンパク質が卵の殻の結晶化を促進させる働きがあると発見。
このタンパク質は鶏の卵巣にも存在していることを突き止め、このタンパク質が無ければ卵は出来ない!というものでした。
つまり卵の殻を作る為には鶏の卵巣に存在しているタンパク質が必要なので鶏が居なければ卵は出来ない、ゆえに鶏が先という事になります。
鶏が先に存在した説 【神学的考察】
ユダヤ教とキリスト教は神による世界の創造について述べ、その中で鳥の創造についても述べています。
その創世記の第一章によると、神は鳥を創造しそれらに産み殖やすいよう命じたが卵については直接触れていないのです。
つまり鶏が先に存在したということになります。
卵が先に存在した説 【数学的考察】
しかし、「意義あり」とする反対意見も多く出てきているのです。
サーマンとフィッシャーは年ごとの卵の生産量と鶏の頭数に着目し数学的に考察しました。
その内容は鶏の頭数から生まれる卵の数を予測できるか、また反対に卵の数から鶏の頭数を予測できるのかを調べたというものでした。
その結果、卵の数から鶏の頭数は予測できたが、鶏の頭数から卵の数は予測できませんでした。
つまり彼らは卵が先に存在したと結論付けたのです。
どちらが先ということは無い
仏教では「時間は循環しており、歴史は繰り返される」という考え方が浸透しています。
時間は永遠に繰り返されるのならば、「最初」というのは存在しないのです。
すなわち、循環する時間において最初というのはないのです。
つまり鶏、卵どちらが先に存在したということは無いという事になります。
まとめ
さて、鶏が先か卵が先か!結局のところ結論は?について書きました。いくつか大切なポイントがありましたので確認してみましょう。
- 鶏が先か卵が先か!はどちらが先にこの世に存在していたかという意味
- イギリスの共同研究チームが卵より鶏が先に存在したことを発見
- 卵の殻を作る為には鶏の卵巣に存在しているタンパク質が必要なので鶏が居なければ卵は出来ない
- ユダヤ教とキリスト教は、神学的考察から鶏が先に存在したとしている
- サーマンとフィッシャーは卵の生産量と鶏の頭数から卵が先に存在したと結論付けた
- 仏教では鶏、卵どちらが先に存在したということは無いということになる
いかがでしたか?色々な角度から考察してみても、意見は分かれるようです。今のところハッキリと結論付けるのは難しいでしょう。今後、この疑問について大発見があるかもしれませんね。